自分の記憶に愕然
押入れとは良く言ったもので、押して入れるだけに、モノを入れた事が忘れ去られてしまうケースもありがちです。
ウチの和室に有る押入れ、引っ越しのたびに段ボールにモノを詰めて運んではしまうわけですが、それでも入れた存在を忘れていた「想い出系」物品が出てきちゃったのであります。
人生のステージで誕生の次に大きな節目となるイベントと言えば、学校系ですよね。
幼稚園とか保育園時代ってのも有りますが、物心ついてからの記憶ではっきり残っているのはやっぱり小学校以降かと。
私の場合幼稚園時代のもので残っているモノ、物品と言えば、出席ノートだけで、あとはよく覚えてません。
小学校以降の場合ですと、卒業のたびに卒業アルバムというのが作成され、まぁそうそう捨てませんのでダイジに本棚の一角に差し込まれてたりしてごくたまに見返すこともあり、当然存在は忘れる事は無い感じです。
ところが単発イベント系のものだとか文集や記録の冊子系、 修学旅行の文集とか生徒会誌なんてもの、この手のモンが押し入れの奥から発掘されて、その存在すら忘れてたんですよね。
片付けアルアルなんですけども、一旦こういうのが出てきちゃうと手が止まって時間が無駄に過ぎていく。
思い出に浸ると言えば聞こえがいいですけども、今回完全に手が止まった理由っていうのが、それらの記念冊子の存在を全く忘れていたことです。
あんれまぁ、オレこんなことやってたの?とか、こんなイベントに参加してたんだっけ?とか、こんな名前の部員同期に居たっけ?などなど、、、
ヤヴァいレベルで記憶が飛んでたり間違ってたりして笑えてきましたわぁ。
人間の脳って、忘却機能がガッツリ組み込まれててすげーとか思いましたね。
それにしても、紙に印刷されたもの、そこに書かれている内容・情報ってのが発掘された時の価値ってのは大きいと感じますね。
デジタルだと発掘自体がメチャクチャ容易なケースが多いし共有が簡単なので、やっぱり価値が上がりにくい。
当時まさか、将来こんなにデジタルで通信でAIな時代になるとは全く思わなかったわけで、悠久なゆったりとした時間が流れている世界だったんだなぁと振り返ります。
そんな一部を感じた内容としては、部活動の名簿なんていうのが あってそこに書かれている内容がむちゃくちゃ個人情報なんですよね。
例えば現住所・実家の住所・ 生年月日・血液型・電話番号・出身校が がっつり書いてあったりして。
当時だれもこの記述に疑問が沸かなかったし、お互い楽しんで話のネタにしてたような記憶があります。
これなかなか今ではいわゆる個人情報保護法によっても、いわゆる常識的にもありえないレベルの内容になっちゃいましたね。
ネットもメアドもない時代でしたから、友達になった誰かと連絡を取り合うなんていうときにはまず電話、それか書いてある住所に勝手に凸るみたいな話がフツーでしたね。
そんな形で急に訪問されるのも全く自然だったし、そういう仲から一生の友達ができたりしていったものなんです。
言ってみればデジタル時代には、そういうきっかけになりそうなチャンスが極端に減ったと思います。
考え方とか趣味や境遇の似かよっている人が、デジタル手法で知り合い、コミュニティを形成していくってやり方が今は多く見られますが、昔のアナログの付き合い開始方法とは大きく変わってしまったなと思います。
どっちが良いとか悪いとかではなくて、根本的に変わったなーと思うんですわ。
物理的に接触のある人々との関係は、要は同じ部屋などの空間を共有する間柄。
見た目や音声が時間差無く直接お互い感じられる距離です。
デジタルではそうでない。
文字通信やオンラインミーティングで会っている気になっているけど、実は会っているのではなく、会っている風に交流しているということなんだろうなぁー。
未だにオンライン上でお会いできない先輩方がいっぱいいますが、現実世界ではたまにわざわざ会えたりしている。
そう、現実で会えればそれで会ったことに、交流したことになるなぁと実感します。
今日の話、もちろん結論が無いわけですが、アナログで発掘されたものっていうのの価値を再発見できたことから、デジアナの使い分けってのが、ここんとこホントに難しくなってきてるなと痛感した次第でした〜。
みなさんの記憶、どんな感じでこぼれずに保持されてますかねぇ〜?
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